2014年9月5日金曜日

自由度



センターで大学居室が使えないため、社長に請うてバイト先で間借り。


こちらはこちらで自分のオモチャが少ないので作業が進みますね。


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深夜現在の執筆環境。


実家のマイデスクよりは綺麗、かな?


下宿はさらにもう少し綺麗です、といっても高が知れてる…


VAIOの飛び石キーボードも好きだし、自宅の茶軸もいいのですが。


今回はLenovoロゴなし最後のThinkPadであろう、T510で書いてます。


やっぱりEdgeじゃないThinkPadは使ってて気分が良い。


30シリーズになっていよいよキーボードも変わっちゃうし、


このあたりでT420かX220あたりを仕入れておくか…


でももうそんなにパソコンあっても使わんよな…





> 海部美知「ビッグデータ文明論」 第4回 塀の中に逃げ込む高級素材


僕は苦手な”ソーシャル”ですが、なかなか上手いこと書かれてると思いました。


せっかくなんで引用しておきます。



 さて、順風満帆に成長をつづけてきたように見えるグーグルですが、ここ数年大きく出遅れたのが「ソーシャル」の分野でした。その理由はいろいろと語られますが、基本的にはやはり、ソーシャルという仕組みが、そもそもグーグルの体質にどうしても合わない部分があるのだと思います。


 例えて言えば、グーグルという生き物は、オープンなインターネットの「クラウド」の中にある、ありとあらゆるものを空気のように取り込み、吐き出すことで生きています。しかし、ソーシャルという仕組みは、その中に囲いを作り、完全オープンにしたくない内容をやりとりできるように作られたものです。今ではフェイスブックのユーザーは全世界で10億人に達し、世界の人口の7分の1がその囲いの中に入ってしまいましたが、今後さらに鎖で閉ざされたこの囲いの輪が広がれば、グーグルの息ができる部分がどんどん狭くなり、窒息してしまうかもしれません。以前は、ブログという形でオープンなウェブに出現していたユーザーの日記や自分で撮った写真など、最も典型的な価値の高い「有機的データ」は、どんどんフェイスブックの塀の中に逃げ込んでしまって、グーグルの手が届かなくなっています。


 一方で、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)では、人と人との関係性、「ソーシャルグラフ」という高級な「材料」が収穫できます。このため、グーグルは自分の手の届く「グーグル+(プラス)」というSNSを作ったわけですが、無機的な「機械的アルゴリズム」であらゆるデータを扱うことをモットーとしてきたグーグルには、すべてが人の手で動くクローズドなソーシャルは、どうすれば上手くいくのか、ピンときていないように私には感じられるのです。






今日も富士山が綺麗です。


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